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 みなさん、こんにちは。寒いなかごくろうさまです。

 和歌山大学で教育学をやっています、越野といいます。

 私がわりと好きな、The Blue Heartsというバンドの「TRAIN-TRAIN」という歌のなかに、「弱い者たちが夕暮れ さらに弱い者を叩く」という歌詞がでてきます。以前から意味深な歌詞だと思っていましたが、最近、1980年代につくられたこの詩が、それから約30年後、いまの日本社会のあり方を予言していたのではないか、と思えてなりません。

 先ほどからの若い皆さんのスピーチのなかにもあったように、今の日本では、弱い立場の人たちがひどいバッシングを受けることが少なくありません。在日コリアンの人たちへのヘイトスピーチ、沖縄で基地に反対する人たちへの誹謗中傷、障害をもつ人たちへの差別的なまなざしは、昨年相模原での大量殺人事件という最悪の結果をもたらしてしまいました。高齢者の暮らす施設でも虐待の事例がしばしば報道され、年金も「既得権益」として批判されて切り下げられています。貧しい人たちを支えるはずの生活保護制度は、「不正受給」がことさらに騒ぎ立てられ、結果として保護基準の引き下げを許してしまっています。

 こうした、いわば「弱者叩き」を誰がしているのでしょうか? ゆとりのある、強い立場にいる人たちでしょうか? それもあるかも知れませんが、むしろ中心はそうではないようなんですね。ごく普通の一般の人びとが、ネットなどで、あるいは心のなかで、こうした弱者叩きに手を貸してしまっている。世の中全体の閉塞感、先の見通しがもてないしんどい生活のなかで、ストレスや鬱憤を少しでもはらすために、そうした心ない言動をとってしまっているのではないか、と思います。まさに、「弱い者がさらに弱い者を叩く」状態になってしまっている。自分たちが「大切にされていない」という思いのなかで、自分たちより弱い立場の人を支えるわずかな仕組みが、「特権」のように見えてしまい、それを攻撃するということになってしまっている。もちろんその背後には、メディアによる意図的なイメージ操作もあります。なけなしの福祉制度をさらに引き下げてしまうおうとする力、弱い者たち同士を争わせることで得をする人たちがいます。

 しかし、言うまでもないことですが、弱い者同士がお互いに叩きあい、足をひっぱりあっても、決してよい結果にはなりません。これまでの日本社会がつくってきた、弱い立場の人を支えるためのなけなしの仕組みが、ますます壊されていくだけです。

 それでは、この社会が少しずつそちらの方向に行きつつある、弱者を叩き、排除し、支える仕組みを貧しくしてしまう方向から、どうやって抜け出すことができるでしょうか。

 私は、一人ひとりの人が、自分のしんどさ、自分の不安を、率直に口に出していくことから始めるべきではないかと思います。そして、他者のしんどさにももちろん耳を傾ける。少しだけ違うところにいて、互いのことはよく知らないけれども、お互いに、今、けっこう苦しいんだということをわかり合う。そうしたコミュニケーションを丁寧に積み重ねていくことで、少しずつ、共通の課題や向かうべき方向性が、あるいはこうした状況をつくりだしているものが、見えてくるのではないでしょうか。

 今日のデモのテーマは、「あなたも、わたしも、大切にされる社会を」です。参加してくださっている皆さんは、年代もまちまちですし、日頃の生活もそれぞれにいろいろな点で違うでしょう。自分の暮らしのなかで、困っていること、「大切にされていないなぁ」と思うことを、少しだけでも、隣の人と語り合ってみていただけないでしょうか。そうしてお互いにお互いのしんどさをわかり合うところから、弱い者が叩き合う社会から抜け出す道が見えてくるのではないかと思います。

 人権というのは、何も特別な属性の人、いわゆる「マイノリティ」だけの問題ではありません。私たち一人ひとりの問題です。弱い立場の人でも安心して暮らしていける社会でこそ、私たち自身もまた守られ、安心して暮らすことができるのではないでしょうか。私たちは、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」に出てくる「カンダタ」になってはいけません。自分自身を含めた、特別でない、弱い立場にいる人の声を聞こうとする、そういう人たちの集まりが、民主主義をまもり、この社会を私たち自身の暮らしやすい社会に変えていくのではないかと考えています。そのためにも、差別や排除にNoと言い、少数者の声を聞き、手をつないで、政治に対しても声をあげていきましょう!

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