top of page
みなさん、こんにちは、和歌山大学観光学部の工藤新史です。
今からスピーチします。 今日は言いたいことが二つあります。
 一つ目は、「人権を守れ、差別はやめろ」こういうこ とを僕たちは言い続けなければいけないということです。
 その前に僕たちは人権は大切だ って誰に向かって言っているんでしょうか?僕は一つの方向として、政府や大企業に向かって言っていると思います。今メディアでは「過労死」が取り上げられています。政府や大企業が現場の残酷な働き方を知らずに、いや、おそらく知っていても無視して勝手に働き方 の改悪を進めています。労働者のことを考えずに、国益とか企業のための利益を優先して成り立っている社会って人権が大切にされている社会と本当に言えるんでしょうか?社会の 一員の僕たちが働き方を変えろって声を上げることは、人権を大切にしろって言っている ことと同じだと思いませんか?
 たとえば、女性の労働の問題があります。今、男性の非正規 雇用の割合が20%なのに対して、女性の非正規雇用の割合は50%以上を占めています。 正規雇用はフルタイムで、非正規雇用はパートタイムと考えると、こういう割合が導く一つ の結果として、仕事が早く終わる女性は家の中で育児や家事をして、男性は外で働くという 固定観念を定着させていることになるんじゃないでしょうか?
 僕はこういう風な固定観念こそが問題だと思います。 なぜなら、現状で、夫は働きに出て、妻は専業主婦という世帯は全国で680万世帯もいま す。またこれとは逆に、その約倍の世帯、1100万は共働きの世帯なんです。またこのデ ータとは逆に、夫は働きにでて、妻は専業主婦をしたほうがいい、こういう古い固定観念に 賛成している人は、男性・女性ともに50%もいます。共働きの世帯のほうが多いのに、こ の男女の役割分業に対する見方を持っていると、女性の社会での労働はパートタイムとい う、ごく限られた時間だけでいいということになりませんか? また、女性は多くの時間、家事や育児を一人でしなくちゃいけないってことになったりしま せんか? 男性側からしても、一家を自分の収入だけで養わなきゃいけないと思い、体を壊してまでも 働かなくてはいけないというストレスを感じざるを得なくなるのではないでしょうか? お互いに育児や労働の喜びを感じることができる社会っていうのが、本当に人権が大切に されている社会だと僕は思います。
 
 言いたいことの二つ目は、僕たちは、こうやって障がい者の権利とか在日コリアンの権利と か、だれか特定の性質にカテゴライズされている人たちの人権保障を訴えているわけでは ありません。 たとえば、社会で「障害者」の権利を保障しようといわれるときに、僕たちは、よく障害者 だけの権利を保障しようね、と捉えがちです。でも、障害者の権利を保障できる社会はすべ ての人の権利を保障できる社会へとつながってると僕は思います。なぜなら、たとえば、駅 に階段しかないというところと、階段の隣にスロープがあるという駅の状況をふたつ比較 したとき、スロープがあれば、車いすにのって移動を余儀なくされる人の不便を軽減できる ばかりか、自分で階段が登れるとしても、やっぱり足が痛い日などには、スロープのほうが 歩きやすい、という利点を生むこともできます。こういう風に、特定の人のための配慮は、 すべての人に有用なものであったりします。
 また、僕は人に障害があるのではなくて、社会 に障害があるんだという風に考えれば、社会の中の障害を取っ払っていく、こういう動きが 進められていくように思います。そういった社会って障がい者だけではなくすべての人に 優しくなれると思いませんか? また、同性婚を認めることのできる社会って、どんな人を好きになってもいいんだよって、 言われてるようで、すべての人の価値観を認めている、多様性のある社会だと思いません か? ぼくはそういう社会に住みたいです。 だから、すべてのひとの人権を保障していくためには、障害者や LGBTQ+などの当事者だ けでの運動だけではなく、非当事者とされている人も、そういった意識をもって、一緒にな ってこのようなデモなどの運動をしていかなければいけないと思いませんか?
 僕は、誰もが誰のことでも愛せることができる、幸せな日々を送れる、そういった社会にこ れからしていきたいと思います。僕のスピーチは以上です。ありがとうございました。
bottom of page